東横イン 郡山 [独り言]
福島県に来たのだから、ここは外せない!と、「義経まつり」の翌日は久々の会津若松行きを計画。
「まつり」終了後の諸々の時間を計算して、午後6時ごろの電車で思い出いっぱいの藤田駅(国見町)をあとにしました。
で、どうせならその夜の内に会津若松入りしておけば都合が良かったのですが、やはり既にお手頃なホテルは満室。ご立派な温泉旅館なら空室もチラホラでしたけど、一人旅で温泉旅館で孤独に豪華な料理をつつくのも侘しいものでして(笑)。
会津若松は諦めて、郡山で探すもこれも苦戦!・・・ここでも嵐さんの余波をくらっていたのかも?
ギリのタイミングで予約できたのが、駅からちょっと距離があったこちらのホテルでした。
「まつり」終了後の諸々の時間を計算して、午後6時ごろの電車で思い出いっぱいの藤田駅(国見町)をあとにしました。
で、どうせならその夜の内に会津若松入りしておけば都合が良かったのですが、やはり既にお手頃なホテルは満室。ご立派な温泉旅館なら空室もチラホラでしたけど、一人旅で温泉旅館で孤独に豪華な料理をつつくのも侘しいものでして(笑)。
会津若松は諦めて、郡山で探すもこれも苦戦!・・・ここでも嵐さんの余波をくらっていたのかも?
ギリのタイミングで予約できたのが、駅からちょっと距離があったこちらのホテルでした。
旧伊達郡役所 (桑折町) [独り言]
「桑折」・・・「こおり」と読むところからへぇ~~!と、新たな出会いです。国見町のお隣の町です。こちらへも足を伸ばして案内して頂きました。漢字のとおり養蚕が盛んだったようです。
異人館を思い出す造りです。
異人館を思い出す造りです。
阿津賀志山防塁~二重堀 (国見町) [独り言]
阿津賀志山防塁のふたつめ
長い防塁が時代の流れによって寸断されてしまい、当時の地形のまま残されているところが何箇所かあるということです。900年の長い時間を経て、残っていることに感動です!
そして、きれいに草が刈り込まれて土地の起伏がちゃんと分かる状態にしてくださっていることに感謝です!
「義経まつり」のあとメイン会場だった場所に隣接する観月台文化ホールのロビーに展示されていたジオラマに再び感激!!
この地での敗戦、国衡の戦死から藤原氏は滅亡へ向かって行きます。
長い防塁が時代の流れによって寸断されてしまい、当時の地形のまま残されているところが何箇所かあるということです。900年の長い時間を経て、残っていることに感動です!
そして、きれいに草が刈り込まれて土地の起伏がちゃんと分かる状態にしてくださっていることに感謝です!
「義経まつり」のあとメイン会場だった場所に隣接する観月台文化ホールのロビーに展示されていたジオラマに再び感激!!
この地での敗戦、国衡の戦死から藤原氏は滅亡へ向かって行きます。
岩淵遺蹟 (国見町) [独り言]
次に案内して頂いたのが、こちら。
再び国見町に帰って、時代もぐ~~んと遡り縄文時代!!
東北地方は縄文遺跡がたくさんあることはしっていましたが、青森ご出身の運転手さんのお話によれば子供の頃にも縄文土器とかを何気に見つけたことがあったそうです。
・・・すごいですっ!
再び国見町に帰って、時代もぐ~~んと遡り縄文時代!!
東北地方は縄文遺跡がたくさんあることはしっていましたが、青森ご出身の運転手さんのお話によれば子供の頃にも縄文土器とかを何気に見つけたことがあったそうです。
・・・すごいですっ!
白石城 (宮城県) [独り言]
とにかく東北地方の史跡を訪ねるには、タクシーにお世話にならないと電車やバスや徒歩では限界があることを今までの旅で体感していました。ましてや今回は「義経まつり」の行列開催時間までという制約までありましたから、前もって予約して貸切という形でお願いしていました。
事前の電話で、とにかく「防塁」メインで近辺の史跡も見れるとうれしいとお伝えしていたところ、福島県といっても少し行けば宮城県に入るという場所だったので、こちらへも足を伸ばして下さいました。
伊達家の重臣片倉家の居城です。それほど伊達家についての知識の無い私でも知っているレベルの、片倉家です!
コンパクトな天守が資料に基づいて近年復元されたそうで、内部もピカピカ。
やはりお城の階段はもやは梯子!!ヒーヒー上りましたが、先日出掛けた姫路城ほど高くないので助かりました(笑)。
付近には戊辰戦争時に奥羽列藩同盟に関わる事件として暗殺された世良脩蔵のお墓もあるそうです。
事前の電話で、とにかく「防塁」メインで近辺の史跡も見れるとうれしいとお伝えしていたところ、福島県といっても少し行けば宮城県に入るという場所だったので、こちらへも足を伸ばして下さいました。
伊達家の重臣片倉家の居城です。それほど伊達家についての知識の無い私でも知っているレベルの、片倉家です!
コンパクトな天守が資料に基づいて近年復元されたそうで、内部もピカピカ。
やはりお城の階段はもやは梯子!!ヒーヒー上りましたが、先日出掛けた姫路城ほど高くないので助かりました(笑)。
付近には戊辰戦争時に奥羽列藩同盟に関わる事件として暗殺された世良脩蔵のお墓もあるそうです。
阿津賀志山防塁~ 国道北側地区 (国見町) [独り言]
今回一番見たかった、立ってみたかった場所の一つめの場所です!
奥州合戦の時に攻めて来る頼朝軍を迎え撃つ奥州藤原軍が造った防塁です。
藤原氏四代目の泰衡の兄・国衡がここで戦い「阿津賀志山の戦い」と言われている場所です。
奥州合戦の時に攻めて来る頼朝軍を迎え撃つ奥州藤原軍が造った防塁です。
藤原氏四代目の泰衡の兄・国衡がここで戦い「阿津賀志山の戦い」と言われている場所です。
義経の腰掛松 (国見町) [独り言]
東北地方で出逢う機会が多いのは、松尾芭蕉と源義経関連の史跡です。それだけ愛され続けているということなのでしょうね~。
こちらも、平泉をめざしていた義経が・・・腰掛けた・・・「松」だそうです。ただ、説明文によると代替わりしているようです。
小屋の中です
こちらも、平泉をめざしていた義経が・・・腰掛けた・・・「松」だそうです。ただ、説明文によると代替わりしているようです。
小屋の中です
藤田城跡 (国見町) [独り言]
1189年8月の源頼朝による奥州合戦の時に、頼朝が陣をおいた場所です。
合戦の舞台となった国見町はぐるりと山に囲まれた盆地ですが、町は結構起伏に富んでいます。その中で小高い場所であり、陣を置くには適していたのかと思われます。後年も、この地に城が置かれたようで、南北朝の戦いに舞台にもなったそうです。
私にとっては、とにかく頼朝がここから藤原軍を攻めた場所です!
町の中心地から近くてちょっとビックリでした。前述の「義経まつり」の行列コースからもそんなに離れていません。
合戦の舞台となった国見町はぐるりと山に囲まれた盆地ですが、町は結構起伏に富んでいます。その中で小高い場所であり、陣を置くには適していたのかと思われます。後年も、この地に城が置かれたようで、南北朝の戦いに舞台にもなったそうです。
私にとっては、とにかく頼朝がここから藤原軍を攻めた場所です!
町の中心地から近くてちょっとビックリでした。前述の「義経まつり」の行列コースからもそんなに離れていません。
国見町『第20回 義経まつり』 [独り言]
福島県の国見町のお祭りに松田さんが参加されるという告知があった時には、もうびっくり!そしてうれしい~~!
勢いに任せて遠征を決めました。
今まで本で読んでいた場所に行ってみることができるというワクワク感と、義経役でお祭りに参加される松田さんを拝見できるうれしさでいっぱい~♪
史跡巡りは後述させていただくとしてまず
「義経まつり」
長い歴史のあるお祭りですが、震災を経て「復興」を掲げたお祭りへとスタイルも少し変ったそうです。手作り感もいっぱいで町のみなさんの参加型の素敵なお祭りでした。
そのメインイベントとしての義経行列。
騎乗の甲冑姿の義経さま、そして白拍子姿の静御前。美しかったです。
しかし、想定外の暑さには参りましたぁ~。
https://youtu.be/7_ZrZ0xOnkE
勢いに任せて遠征を決めました。
今まで本で読んでいた場所に行ってみることができるというワクワク感と、義経役でお祭りに参加される松田さんを拝見できるうれしさでいっぱい~♪
史跡巡りは後述させていただくとしてまず
「義経まつり」
長い歴史のあるお祭りですが、震災を経て「復興」を掲げたお祭りへとスタイルも少し変ったそうです。手作り感もいっぱいで町のみなさんの参加型の素敵なお祭りでした。
そのメインイベントとしての義経行列。
騎乗の甲冑姿の義経さま、そして白拍子姿の静御前。美しかったです。
しかし、想定外の暑さには参りましたぁ~。
https://youtu.be/7_ZrZ0xOnkE