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「佐賀の乱」に新資料 [独り言]

明治維新は薩長土肥の4藩が中心となって進められたことは周知のことですが、さて、明治新政府となって実際に権力の場に留まり続けたのは薩摩藩と長州藩出身の人がメインとなっていきます。
ちょっと後になってから便乗型参加だった肥後はその存在がどんどんと影薄くなってゆき、司法卿(法務大臣)まで勤めた江藤新平の下野によって決定的となってしまいます。
そして、明治7年(1874)佐賀の不平士族が金融機関を襲ったことに対して、政府軍が派兵され「佐賀の乱」となってゆきました。その先頭に担ぎ出されたのが、江藤新平でした。
その政府軍の動きがあまりにも迅速であったことに疑問が持たれていて、新資料は、
内務卿大久保利通を中心として、「佐賀士族幹部を捕縛・糾問することと、抵抗されたら武力鎮圧」という、シナリオが出来上がっていたということを示しているそうです。

新聞紙上でこれを発表している研究者は『国家権力を私物化した大久保が江藤新平の抹殺を狙った権力闘争』と締めくくっているのですが、そう決め付けてしまうのは?と疑問が残りました。
当時士族たちの中では、生活形態の激変と、戊辰の役を実際に戦ってきたものの新しい時代からの恩恵はいっこうに自分達のところには届かず、一部の政府高官が独占しているといった不満や困窮が極まりつつありました。そして、その不平不満の爆発が各地で起こっていました。
大久保としては、このままでは中央集権国家としてスタートした明治政府が瓦解する、諸外国からの介入を許してしまう・・・といった危機感から、早期解決を狙っての派兵だったのではないでしょうか?
後には、出身藩の薩摩での「西南の役」で盟友であった西郷を失うこととなった時ですら、その姿勢は崩していませんから。(単に大久保派の想いですけれどね・・・)

江藤新平、自らが目指した新しい法で裁かれることなく、日本史上最後の江戸時代の亡霊のような「斬首・晒し首」となったのは、無念だったことと思います。

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以前は上下巻に分かれていなくて、辞書のような厚さの(京極本並み)文庫本でした(笑)。


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